(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

時間の概念、捉え方、また作業として完結させること、

時間の捉え方や概念についてです。

昔、テレビにて、自己啓発的な手法を取り上げた番組を見たことがある。女性アナウンサーが、順番に3つの椅子に座って、30年後の椅子、3年後の椅子、3日後の椅子と、遠い未来の椅子から順番にすわって、自分の在り様をいってもらうことをしていた。たしか、教育テレビだったと思う。大きな目標と、それに至る過程の中、各フェーズを区切り目標を小さくして具体的なものにしていく作業である。30年と3年の間隔が開きすぎていると一方で思いながら、そのような手法があることに感心した覚えがある。学生か就職して早々の頃だったと思う。

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確かに、日々の作業と、大きな目標、目的を関連付けること、物事の取り掛かりとして具体的に何をしたらよいのかを遠くを見据えること、大事である。

 


また一方で、毎日の作業、週、月、年と、その時間、時間というよりもサイクルって言ったほうが良いとも思っている。さまざまな時間や作業の捉え方があるし、作業の大半は繰り返しの作業である。最近、作業の時間的な概念、捉え方としては円のカタチが良いのではないかと思う。一つの円、大きな円、小さな円、それぞれ円周に沿って時間が経過し、その作業が、円として完結する。とにかく作業を円として閉じること、完結させることが重要と思います。完成、他の人に手渡しできる。 

どうも自分はこの円の大きさをキチンととらえることが出来ていないように感じる。不完全な円すなわち閉じていない円である。

 


趣味で陶芸をしていますが、作業としては、粘土を練ること、成形すること、素焼きして釉薬をかけること、焼くことの各段階を経て、作品は完成します。(だいたい週1回、2時間半の授業で、1.5カ月から2か月でひとつの作品が完成。複数の作品を同時進行で進めています。)初めの粘土をよく練ることが重要になりますが、でも初めから菊練りは難しいし、それだけをマスターしてからでは、時間がいくらあっても作品は完成しません。

そんなこともあり、通っている陶芸教室では、初心者には、先生が粘土を練って対応しています。とにかく、碗なり皿なり作品を完成させること、それが重要です。


陶芸教室のスタッフさんの話では、生徒さんはだいたい3年から4年で入れ替わるとのことです。家庭の食器類で作りたいものがほぼ完成するのが3-4年なのか、興味が失せるタイミングなのか…。普通はご飯茶碗などは家族分あれば十分です。大きな鉢と大きな皿、手ごろな皿がいくつかあればことは足ります。

古株にの方になると10数年にいつまでも主として居着いているとのことです。

自分も初めは手捻りやタタラいた作りで3年、多少飽きてきたこともあって、4年目から電動ロクロを始めました。一つのことだけでは興味が続かないですね。おそらく3~4年の周期があるのでしょう。また自分では、成形の技法のひと通りが一巡し、二巡目でまだ釉薬やら焼き方にまで範囲を広げ切れていない、今後の課題になると思っていますが、少しづつ大きなサイクルの円、小さな円として、それらがらせん状に積みあがっていくイメージを持っています。とにかくこれを小さな円として仕上げること、大きな円として完全する。

小さな円の作業の時に、大きな円の作業などすこし気にする必要はあった方が良いのだけど、大きな円の作業になってしまうと、目の前の作品が完成しない、もしくはイビツなカタチになってしまう。

仕事もそんな感じなのでしょうね、