(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

コーヒー茶漬け、試し。余談

 

コーヒーが好きです。

 

コーヒーでお茶漬けしたらどうだろうと思い、試してみました。

 

冷やご飯、コーヒー、少し反則と思いながらもお茶漬けの素

f:id:f4650:20190112124121j:image

 

こんな感じに…

f:id:f4650:20190112124209j:image

見た目コーヒーの茶色が薄いしょうゆか、煮詰まった濃くなった蕎麦つゆに見えて、

失敗感ばかり…

 

 

食べてみると、コーヒー苦味がお茶漬けの素と絡まり、苦味のみが際立つ。その苦味がザラザラして舌に残る。

残念な昼メシになりました。(>_<)

次回もし再度挑戦するなら茶漬けの素抜きで試します。まぁ〜、たぶんしないと思いますが…。(ご飯を甘くした味をしておくと、コーヒー苦味に会うかもしれない)

 

※以下、コーヒー茶漬けとは別の話です。

発達障害にコーヒーが効果あるようなこと話はありますが、よくわからないですね、実験などで実証されたものかわかりませんし、カフェインによって頭の働きが活性化するかもしれないけど、コーヒーのカフェインが発達障害に効くのかはわからないと思いますし、効果も個人的個別なことかもしれない。

コーヒーのカフェインの効果云々は別に気にしていません。学生か社会人になってからコーヒー好きになり、あまりコーヒー、カフェインの効果など気にしたことがない。朝(のみならず昼間も)飲むと眠気が覚めることはあります。

一時期、家内から、コーヒーのカフェインが頭に(発達障害に)良くないと、カフェインの抜きのコーヒー(普通のより倍くらい高価)を買ってきました、半月くらい抜きのコーヒーを飲みましたが、なんか気分的に不足の感じでした。まあ、悪魔でも気持ちです。

 

※以下、コーヒー関連の余談です。

 

昔から、朝はほぼ飲みますし、夕飯後もだいたい飲みます。

寝る前にも飲むことがりますが、寝れなくなることはまったくなく、すぐぐっすり寝ます。

 

コーヒーの銘柄やらこだわりはなく、

普通に、挽き豆のパックを買います。

コーヒーメーカーもこだわりはなく、ただプレゼントの点数からキーコーヒーを買うようにはしていますが、それも絶対ということもない。

ブルーマウンテンなど美味しいですが高値段ので選択支に入りません、どちらかといえば濃い目に(大きなマグカップ350mml)入れます。あまり少ない量では、美味しくならないと本で読んだことから、多目に入れて飲んでます(まぁ、これは普通どこのご家庭、誰でもしていると思います。コーヒーポットに数杯ぶんを作り置きしているのではないでしょうか、)

 

コーヒーといえば、子供の頃の思い出があります。母方の叔母がサイホン式のコーヒーを使っており、小学校の頃、アルコールランプ、不思議なお湯の流れなど興味がありました。その頃コーヒーといえば、父がインスタントのコーヒーを時折飲んでいたと思います、それがコーヒーと思っていましたし、それに比べて本格的なハイソな感じがしてましたね。

(実際叔母も取り扱いの面倒なサイホン式のコーヒーはやめて、フィルターのドリップ式になってました。父もいつ頃か忘れましたが、ドリップ式のコーヒーにしてました。)

 

ドリップ式でも、熱湯を始めに、少し入れて蒸らしてから入れたりしてましたが…、効果のほどはわかりませんね、今ではそんな面倒なことはしていませんね、ただ習慣として湯を沸かし、フィルターセットして注ぐだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

区切りをつける、習慣化、余談など

前回の続きで、「道が開ける」を読んで、

 

一章に記載の、1日ごとに、区切りをつけること

それだけでも、気分的に軽くなる。

 

 

まだ、実際に仕切れていない、

簡単なことなのだが…、退社時、寝る前に手帳に記載するだけで良いのだが…

 

※朝血圧測定をしているが、これが意外にも続いている。血圧測定機を腕に巻いて、約1分、コーヒーを入れる時間と兼ねており、習慣になった。(ただし、休みの日は、抜けが多い、休みはコーヒーを飲まないからなのか…、特に問題視していない)。同じく夜にも夕飯後にでもコーヒーを飲み、血圧測定を行う習慣、合わせて、1日の区切りをつける習慣も設けよう。

 

また話がそれるが、頭の中で考えていることの、整理が苦手なのだろう、何が悩みなのか、いつまでにもしたら問題ないのか、いわば頭の中の棚卸し、平たく言うと整理ですが、それが出来ればいいのである。 まぁ肩肘張らず気楽にやって行こう。

 

 

余談

最近は、風邪かアレルギーなのか、咳喉、怠さがあり、午後9〜10時に布団で横になったまま、朝まで寝てしまう。睡眠時間の確保ということからすると、悪くないのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「道が開ける」をザックリ読む、悩みを発達障害、それ自体にすることは無意味と気付く、今更ですが…。

道が開ける、を読んでいる、

ザック斜め読み。

f:id:f4650:20190108085530j:image

悩みの対応の仕方、

 

細かなところはあるはぶきますが、

①悩みを的確に把握して、②対応方法を検討し尽くす、③最悪の事態を想定して、腹をくくる、④実行する。

とにかく、悩みを引きずらないこと。(はじめの章にて、1日単位で物事を終えることにもつながってくる)

f:id:f4650:20190108085542j:image

後半からは、悩みについて詳細が記載されているが、まだ未読、

 

感想、

良いのですが、「悩みの把握」が難易度が高い。(※

1日単位で物事を終えることは、(本当に、その通りなのですが、)

すなわち、1日のすることを明確にしておかないとダメなのと、

物事1日では終わらないことも多いので、内容を分解して、いつまでにここまではしておくなど、ザックりでも計画を立てる必要はある、

後は、1日の終わりに作業に確認を行い悩みの棚卸しをしておくことが望ましいのだろう。

 

※、悩みを「発達障害」それ自体にすることは無意味、時間の無駄であり、とにかく具体的な事象に視点を変えること、まぁこれしかないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

正月明け、課題、無計画にならないように、カラダの健康にも配慮すること

正月明け、今日から仕事、通勤電車の中からです。

 

年末やり残したこと、休みの間にてを付けて目処を立てる予定が、何もせずに仕事開始になる。

 

そうそうに無計画が露呈する、いつものことだけど、好ましいものではない

 

年末から、体重が増えた、カラダを前に曲げるとき腹周りも苦しく感じる、また腹が張る感じがする。春頃から10キロ弱増えた。こちらも良いものではない。

 

また、最近、調子が良くないが、きっとメンタル的なことなのだろう。

 

 

 

 

 

真夜中にバナナば食べたくなった発達障害の人は、他人に迷惑を掛けないよう、ひとり夜の街中、バナナの売っているコンビニを探すのであろう。

映画で、「真夜中にバナナが・・・・」という、難病で体が動かすことが出来なくなった主人公が周りに迷惑をいとわず残された人生をわがままに過ごすという(まだ見ていないのでTVなどで聞いた話ではそんなえいがだそうである。

周りのボランティアさんなどをこき使う難病の主人公を俳優のナントか洋さんが演じる。どうもかなり涙なしでは観ることが出来ない映画だそうである。(思い出した、大泉洋です)

 

難病であるかは別として、発達障害という病(?)があるが、これは何というのであろうか、別に体がう子貸すことが出来なくなるという事もなく、周りに迷惑をかけても、ただただ迷惑なだけである、

もし夜中にバナナが食べたくなっても、他人に迷惑をかけないように、夜中の街をひとりバナナの売っているコンビニを探すのであろう。

 

 

もし、難病を発達障害と置き換えると、主人公の大泉洋は、夜中にバナナが食べたくなるが、別に発達障害程度でボランティアなど介護が付くわけではないので、ただただ夜中の街をバナナを打っているコンビニを探す…、そんな映画になるのではないだろうか、映画も原作も読んでいないので、申し訳ない。

発達障害とした場合、ほかの人を巻き込んでハッピーエンドになるような設定が描けない。

 

そのような意味からも、根本的に発達障害は、不利である。

 

きっと発達障害というものが、世間的にも医学の治療など含め遠い将来明確になるまでは、とりわけ発達障害のグレーゾーンの人たちはただただ心の中に秘めて人生を送らなければならないのであろう。

結構厄介なことである。

 

まあ自分も、他人に迷惑を掛けないようにひとり夜の街中、バナナの売っているコンビニを探すとしよう。

 

 

 

 

発達障害であることを言い訳や免罪符にしてはいけない。むしろ発達障害であることを忘れる・・・、そこまでしないと、自分の自分自身の人生をいきることにはならない。

つまるところ、

グレーゾーンの発達障害ということ、更に隠れ発達障害というポジションでいることは、生きていくうえでそんなに重要なことではないのかもしれない…。

そんなことを考えている。

 

発達障害に真摯に向き合うこと、それ自体がむしろ良いこととは言えないとも思う。

いくら悩んでも、思いを巡らせても、出口がない。

 

薄々感じていたことではあるが、そういう事である。

 

さらに、真摯に向き合っても、自己嫌悪、自虐的な考えにしかならない。これは本当にまずい、自分自身が発達障害という事に逃げ込んでいる、発達障害という事を免罪符にしている、

さらに、傍から見ると、あいつは、なにやっているのか、きっと皆目見当がつかないのであろう・・・、残念ながら・・・・。

 

2017年夏から、覚悟を決め通院・投薬したのだが…。投薬もカウンセリングも期待したほどの効果がない、2018年を振り返ると、そういう事になる、万策尽きたって感じであろうか。持ち札がない、手持ちのカードが切れない。

 

もし救いがあるとすると、発達障害であることを忘れることではないか

そうでもしないことには、「発達障害の人生」になると思われる。発達障害の対策が自分自身の人生ではない

 

失敗したり、忘れたり、大ポカもするだろうが、如何に予防線を張って、くい止めることが出来るか、この数年の経験したことが有効になると思う。好き好んで穴に落ちることはないが、足元は細心に注意する必要はある。

 

対策はメインではなく、あくまでも補助的な物である。普通に人からするとそれに4~5倍時間が掛かろうと手間暇かかろうともメインにはなりえない。当然といえば当然のことではある。

 

もっともっと、自分らしく「お気楽に、しかも注意深く・・・、」そういう事になる荷ではないか。

 

 

新年を迎えるにあたり、そんなことを考えている。どうであろうか…

 

追記:とはいえ、そんなことまた同じ繰り返しではないか!とも思ったりする。悩みどころである。ただどうであれ生きていかなければならない、出っこみ引っ込みはあれども、それなりに生きていければいいのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カラダが弱っている…、風邪か?

1週間少し前から、体調が良くない

季節の変わり目か、花粉か、風邪か

わかりませんが、カラダが「弱っている」と言う言葉が的確と思う

 細かく言うと、顎の左関節が良くないよう、疲れやら、弱っているとたまに生じる

 

12月はトラブル続き、トラブル三連ちゃん、

疲れるわなぁ〜。