(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

「この世の終わり」とか不安やら恐れとか

子どもの頃、「死」というものが、怖くてたまらなかった。ただ具体的になんだかわからないけど…。

 

たまたま、幼稚園の時に一緒にすんでいたおばあちゃんが、亡くなり…。葬式やらなんやら、親戚がよく集まっていた記憶がある、少し年上の従姉妹が「おばあちゃんの分も長生きする」って、言ったのか印象に残っている、なぜか、本来ならおばあちゃんが生きていられた分を代わって長生きすると宣言され、寿命を取られた感じがしたのだった

 

小学生の頃は、地震が嫌いで、大地震で死んでしまう、地割れが起きて人が飲み込まれてしまう、街や家も燃えてなくなってしまうイメージがあり、水筒に水を入れて、食べ物(たまたまミカンがあったので、)非常食として、袋に入れて押入れ奥に入れていた、とにかく地震地震で死のか、食べ物やら寝るとこがなく死んでしまうのが怖くて、(一週間後に.カビだらけのミカンが一袋押入れ奥から発見されて、怒られるが、悪いことをしたとは思っていない、たまたまその期間に地震がなかっただけで、本来なら褒められているはずって認識していた)。

その頃、歌謡曲で「15.16.17と、わたしの人生暗かった〜」という歌詞の曲を聴いて、これから大地震が来るのに、なに歌うたっているんだ、もっと暗い時代になるってのに、みんなの感覚を疑っていた、今思えば笑ってしまうが…。

 

中学の頃になると、ソ連アメリカの戦争で、核ミサイルが日本にも飛んでくるものと思っていた。その頃はノストラダムスの予言などはやっており、1999年に世界が終わるものと、頭の片隅にあった、その時代みんなそんなことをなんとなく思って生きていたと思う。だからといって、自分は具体的にどうのこうのと対策をしていたわけではないが、なんとなく死ぬときはみんな一緒だから…と死の不安を遠ざけていた。頭の中でそのように思うようにしたのだと思う。だが1999年はなにもなく過ぎて、しまった。

 

歳をとると、死というものの認識も変わってくる、学生の頃によく読んだ村上春樹の物語の中で死について独特の世界観があり、生きていること死んでしまったことがあるはざまには重なっているような、この世もあの世もある意味で繋がっているように思うし、生きながらも死んでいるような感じもある、

 

後略