最近、いろいろ考えていることを、とりあえずまとめようと思考を整理しているのだが、
どうも、発達障害などが発覚してからの自分は、自分の不幸探しをしているように思えてきた。
解決するためなのだが、どうもそれ自体、原因(そもそも原因が何にか、ということはとりあえず脇に置いておく)、良くないものを探し、検証する。
これが不幸探しでしかない。(昔読んだ村上春樹の「羊をめぐる冒険」の、羊探しみたいで楽しそうではあるが、結構しかめ面になっている、家内からも昔 年を取っていい顔になるのがいいのよって言われた。(家内のいうことはとにかく正しい、これも村上春樹の女性は巫女である論に通じるものがあると思う))
もう少し良い面、幸せ(幸せという定義もまた、何だろう、これも今はどこか脇に置いておく)についても少し見据えていかないと、駄目なんだろう。
そんなことを思っている。