(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

自己肯定感だけでは不足…

ただなんとなくそう思った。

 

 

自分で自分のしていることが間違えていないなど自分で自分を肯定していても、

 

ほとんど意味がない、

 

そんな風に思う。

 

 

※少しアルコールが入っているので致し方かないですが、まぁ間違いではないし、結構本質を突いていると自画自賛

打合せの時に焦る…。

社内、打合せをしていた時に、

書類の項目分類間違いを指摘され、

ぼろぼろになる、

 

まぁそもそも私が作成した書類ではないのですが、それを言うと火に油を注ぐことになるし、

さらには…、中略

 

焦ると、まったくダメですね。

頭に血が上り、思考できなくなる。

このような時の対策とか、より実践の対策していく必要があるのだろう。

即興が苦手でもなんらかの対策を考えないとダメですね。f^_^;

仕事をしていて、ふと思ったのだが

設計図の通りにならないこと、

現場で打合せした施工図、その図面の通りにいかないこと、

なんで納まらないのかなど、工事現場で気がつく、図面通りにいかない意外な盲点など発見すると、残念感もありますが、逆にこの内容は図面では読みきれないよなぁ〜、って

 

どうも、人間の計画することは、なんらかのミスや落としがあったり、考えきれていなかったりするものであると、自分は考えいる節がある。人間の考えの限界であろう、

そのような考え方、多少飛躍するが、理論的な積み上げとは別の、何か人知を超えたもの、直感力的な物への興味があるのだろう。

 

建物の設計事務所の検査にて、監理の年配の経験豊富な方の検査で、たまたま見たところに施工的な抜けなどあったりする、全箇所確認を指示するが、他全部問題なしであったと施工者から連絡がある、まぁ偶然だろうし、実際他にも不具合があったのを報告していないのかもしれない、ただそのような神懸かったことなどやはり不思議に思う。

 

そのような事柄に、興味があるのだろう、

 

読書も、SFやミステリーものは好きだ

物語の中でも、理論ではない偶然だったり、神懸かった事柄にまで及んでいないと、満足感がなかったりする、至高感覚というのだろうか、自分は、至高感覚を物語に求めているように思う。

 

そういうことが、いろんな思考のなかで、判断が鈍くなる要因になっているのかもしれない、

 

 

 

即興が無理と実感、基本的に考えをまとめきれていない

即興が無理ですね、実際のところ…

無茶振りされると、ダメ、

 

基本的に、考えをまとめきれていないのであろう。

 

無茶振りはされない様に振る舞うこと、また考えを常日頃からある程度まとめて、自分の言葉にしておくことしか対応はないだろう、

 

少し話がそれるが、それ以外に、考え方の根底基礎的なところに、何か問題があるようです、最近気付いた、どうも話を複雑にするきらいがあるのと他人事感とか自分で決定しないとか相手に判断を投げているような姿勢とか、根っから腐っているようにも思う。

 

 

追記、

相手も、いろいろ不安になるのだろう、多かれ少なかれ…。なんとなく感じることもある、伝わっていないなぁ、とか、不安にさせているよなぁって、

ただ客先施主の担当者含めて、同じプロジェク…略

重力って、なんだ?

もしか、電車が走り出す時に、吊革や脚で横方向に踏ん張るのと、地球に立って縦方向に脚で踏ん張るのが同じならば、イメージの問題だけど、重力ってのは縦に地球が走り出す?イメージでいいのか、それは地球がすごい速さで膨張していると捉えてもいいのだろうか、ビッグバンから宇宙は広がっているというが、地球も広がっていることで重力が生じているという解釈は成り立つのだろうか?

契約社会…、個別の対応になっていくのだろう

少し気になっていることだが、

正社員は、就業規則である程度一律に、決まっており、社内の評価制度はあるが、一律にサラリーとして報酬を得ている。

外の方、外注契約の方は、個別に委託業務契約にて、定められた内容で、個別に報酬を受けている。一緒の仕事をしていても、外注の方がいくらもらっているのかは不明です、

その様なことからも、最近、仕事の内容を複数の方に伝える時は、どうしても、内容によっては、個別に話をしないといけないこともあるように思うようになった。

 

 

どうも、全員で認識を同じにするにも、捉え方が外注の方によっては異なる見解になることもあると感じる。細かなこと、いやむしろ大きな根底的な仕事に対する考え方になってくると思う。

 

最近、狭い範囲の民主的な事柄については限界がある様に感じる、外注の方の委託契約の内容が必ずしも全て同じではない。これは正社員の労働組合が、社員の評価制度、能力給になって、そのあり方が、変化せざる得ないことになったことにも似ている。

 

やはり頑張った人にはそれなりの評価をする必要があったりする、当たり前といえば当たり前であるが、

まだまだ、内容が明確になっていないが、考え方の根底がある時点でガラッと変わる感じがするし、

 

完璧にその様な立ち位置から逸れた、思想を自分は持っている様に感じている、まだ明確になっていないのが、歯がゆいのだが…。

どうも自分は、みんな一緒にって感じがいいと思うのだが、みんな一緒ではない世の中になっている、同じ仕事仲間も大半は外注の方である、その中では個別の対応をしていかないとならないようだ。

 

 

 

 

やる気というか、瞬発力というか…、気持ちの先送り…について。

週末前の金曜、

仕事いくつかあるが、来週持ち越しとした。

 

なぜか、やる気にならない、

午後5時少し前に、

気持ちが前に進まなくなった、

 

あれは、なぜなのだろう。

 

この気持ちの変化がどうにかなれば、

悩みは半減する、悩みの大半はすぐ判断やら動いて済ませて仕舞えばいいだけなのだが…。

 

木曜に少し面倒な話があったが、メールひとつ少し面倒な人に送付で、翌日には気にしていたこと全部片付いてしまった。この感覚である、必要なのは!