頭痛がする、
昼間、程度は軽微だが、痛い。
耳の後ろ、メガネフレームに触れているところ、右だけだが、ズキンと痛むこともあり、少し薬、コンサータは控えめにする。
コンサータは、無し、
頭痛薬を飲む。
頭に記憶することは必要であり、
最近思うのが、ある一定以上の情報があないと、駄目、適切な思考や判断が出来ない。
基本的な事柄は、単純に記憶、さらに熟慮を伴った思考がその上位にある、二階建てのイメージ。
(さらに余談になるが.直感的なもの、こころの奥底にあるドロドロしたものが、建物の比喩からすると、地下に当たるのだろう。⇦この二階建てのイメージ、地下階のイメージは、その元が、村上春樹の対談か何かの本に記載されている、正確にその元をトレースしているわけではないので、一回その本を読み直そうとは思っています。)
単純記憶もある一定量は、必要のようだし、詰め込み教育も必要と思う。
ある本で、英語は、単語の量が多いこと、と記載があった、確かにそうなのだろう。極論になるが、日本語で理解しているすべてが英語に置き換えが出来ないと意味がないと思う。
二階建ての比喩からすると、
一階がまだまだ十分ではない感じがする。また二階建てになるだけの情報量が少ないようだ、
そんなことを漠然と思う。
先週末、金曜休みにしたので、三連休でした。
金は、会社の創立記念で、休みだったことから気兼ねなく、休みです。
ほんとは、雑務をこなしておきたいところでしたが、木曜の夕方から、調子が良くなく、早めに帰ったこと、ついでに早めに寝て、金曜は気がつくと9時近く、さらにそこから寝て1日の大半を寝ていました。また、夜も寝て、
明けて土曜日は、ただただ居間のソファーに横になってテレビをチラチラ見ながら夢うつつの状態、
昨日、日曜は、いささか雑務を少しはしておかないとまずいので、午後から仕事場に行く、最低でも週明けからの予定など把握しておかないと…。
出がけに、家内から夕飯は、○○駅の焼肉屋を午後4時に予約したという。13時から仕事して、15時に切り上げ、16時と思っていたが、なんやらかんやらで、15時半に出ことに、さらに使い慣れない路線、なぜか急なトラブルらしく停車駅の変更があり、予定駅に止まらない、戻るために飛び乗った電車も予定駅に止まらず通り越す、とっさの判断で「止まらないかもしれないが、それはそれで.その時の判断と割り切る」と思ったら、案の定止まらない、通り越して行く、
振り子のように…、
またこの振り子のようなことが帰りにも…。
いやはや、まいりました。
今日は、控えめに、コンサータ2です。