(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

発達障害であることを言い訳や免罪符にしてはいけない。むしろ発達障害であることを忘れる・・・、そこまでしないと、自分の自分自身の人生をいきることにはならない。

つまるところ、

グレーゾーンの発達障害ということ、更に隠れ発達障害というポジションでいることは、生きていくうえでそんなに重要なことではないのかもしれない…。

そんなことを考えている。

 

発達障害に真摯に向き合うこと、それ自体がむしろ良いこととは言えないとも思う。

いくら悩んでも、思いを巡らせても、出口がない。

 

薄々感じていたことではあるが、そういう事である。

 

さらに、真摯に向き合っても、自己嫌悪、自虐的な考えにしかならない。これは本当にまずい、自分自身が発達障害という事に逃げ込んでいる、発達障害という事を免罪符にしている、

さらに、傍から見ると、あいつは、なにやっているのか、きっと皆目見当がつかないのであろう・・・、残念ながら・・・・。

 

2017年夏から、覚悟を決め通院・投薬したのだが…。投薬もカウンセリングも期待したほどの効果がない、2018年を振り返ると、そういう事になる、万策尽きたって感じであろうか。持ち札がない、手持ちのカードが切れない。

 

もし救いがあるとすると、発達障害であることを忘れることではないか

そうでもしないことには、「発達障害の人生」になると思われる。発達障害の対策が自分自身の人生ではない

 

失敗したり、忘れたり、大ポカもするだろうが、如何に予防線を張って、くい止めることが出来るか、この数年の経験したことが有効になると思う。好き好んで穴に落ちることはないが、足元は細心に注意する必要はある。

 

対策はメインではなく、あくまでも補助的な物である。普通に人からするとそれに4~5倍時間が掛かろうと手間暇かかろうともメインにはなりえない。当然といえば当然のことではある。

 

もっともっと、自分らしく「お気楽に、しかも注意深く・・・、」そういう事になる荷ではないか。

 

 

新年を迎えるにあたり、そんなことを考えている。どうであろうか…

 

追記:とはいえ、そんなことまた同じ繰り返しではないか!とも思ったりする。悩みどころである。ただどうであれ生きていかなければならない、出っこみ引っ込みはあれども、それなりに生きていければいいのではなかろうか。