つまるところ、
グレーゾーンの発達障害ということ、更に隠れ発達障害というポジションでいることは、生きていくうえでそんなに重要なことではないのかもしれない…。
そんなことを考えている。
発達障害に真摯に向き合うこと、それ自体がむしろ良いこととは言えないとも思う。
いくら悩んでも、思いを巡らせても、出口がない。
薄々感じていたことではあるが、そういう事である。
さらに、真摯に向き合っても、自己嫌悪、自虐的な考えにしかならない。これは本当にまずい、自分自身が発達障害という事に逃げ込んでいる、発達障害という事を免罪符にしている、
さらに、傍から見ると、あいつは、なにやっているのか、きっと皆目見当がつかないのであろう・・・、残念ながら・・・・。
2017年夏から、覚悟を決め通院・投薬したのだが…。投薬もカウンセリングも期待したほどの効果がない、2018年を振り返ると、そういう事になる、万策尽きたって感じであろうか。持ち札がない、手持ちのカードが切れない。
もし救いがあるとすると、発達障害であることを忘れることではないか、
そうでもしないことには、「発達障害の人生」になると思われる。発達障害の対策が自分自身の人生ではない
失敗したり、忘れたり、大ポカもするだろうが、如何に予防線を張って、くい止めることが出来るか、この数年の経験したことが有効になると思う。好き好んで穴に落ちることはないが、足元は細心に注意する必要はある。
対策はメインではなく、あくまでも補助的な物である。普通に人からするとそれに4~5倍時間が掛かろうと手間暇かかろうともメインにはなりえない。当然といえば当然のことではある。
もっともっと、自分らしく「お気楽に、しかも注意深く・・・、」そういう事になる荷ではないか。
新年を迎えるにあたり、そんなことを考えている。どうであろうか…
追記:とはいえ、そんなことまた同じ繰り返しではないか!とも思ったりする。悩みどころである。ただどうであれ生きていかなければならない、出っこみ引っ込みはあれども、それなりに生きていければいいのではなかろうか。