(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

性格とか気質というものかもしれないが、おそらくこの辺りが自分にとって問題の本質なのだろう。

性格とか気質というものかもしれないが、

 

会話時に、自分の考えていることとは全くべつの、ダジャレとか言葉遊びなどどうでもいいことを閃いたりすると、それを口に出したくなる欲求が生じる。

またそれと似た感覚なのだが、自分が考えていることを、はなしをする時はにするときは、まだまだ自分として考えがまとまってないのだが大きくこんなことを思っているという非常に曖昧な状態で話をする時と、ある程度考えがまとまって自分の中でも決定している時にの話し方が、どうも同じようにはなしをしており、

その違いを自分自身が理解していないし、区別も付けていない。そんなことから、聞いている人にとっては、なんか言っていることが違うとか嘘をついているなど思うのかもしれない。

 

会話する時に、話を盛り上げるために、少し話の内容を、1.2〜1.5倍にするとか、今風の言葉でいうとマウントっていうもの、こんなようなこと、まあまあ程度もあるが…

 

 

まだ、きちんとコトバになって居ないのだが、

 

自分の中での考え方の問題、曖昧なものを、曖昧なままを良しとしているところもあり、

それが災いしていれのか、考えがまとまっていない、極めてまとまっていない状態もあるし、

唐突にそのまとまっていない状態で会話をしないとならなかったり、思いつきて話をしてしまったり…、

 

中略

 

 

 

 

のりだんだん?

テレビを見ていたら、

「のりだんだん」という弁当が紹介されていた。

地方、横須賀のソウルフードという、

 

ネットでも確認、こんな感じに海苔が二段にだんだんになっている。

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中学の頃、弁当がまさに、これでした。

母が横須賀出身だったから当たり前といえば当たり前だけど…。

 

そもそも、これが海苔弁と思っていたし、

むしろ、市販の海苔弁がだんだんになっていないことになんとなく不思議に思っていました。

ようやく、腑に落ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

線引き

相手を認めること、

これは良いのか、悪いのかよくわからない。

 

基本的に自分は、相手の意見を認めようと思うし、主張も理解を示すよう努めている

 

ただ、ある意味、浪花節的になり兼ねない

線引きが難しいのだろう、

また、自分の主張も乏しこともあるとかんじる

自分は控えめにと思うが、なんというのか、

何か違うのだ、

自己肯定感だけでは不足…

ただなんとなくそう思った。

 

 

自分で自分のしていることが間違えていないなど自分で自分を肯定していても、

 

ほとんど意味がない、

 

そんな風に思う。

 

 

※少しアルコールが入っているので致し方かないですが、まぁ間違いではないし、結構本質を突いていると自画自賛

打合せの時に焦る…。

社内、打合せをしていた時に、

書類の項目分類間違いを指摘され、

ぼろぼろになる、

 

まぁそもそも私が作成した書類ではないのですが、それを言うと火に油を注ぐことになるし、

さらには…、中略

 

焦ると、まったくダメですね。

頭に血が上り、思考できなくなる。

このような時の対策とか、より実践の対策していく必要があるのだろう。

即興が苦手でもなんらかの対策を考えないとダメですね。f^_^;

仕事をしていて、ふと思ったのだが

設計図の通りにならないこと、

現場で打合せした施工図、その図面の通りにいかないこと、

なんで納まらないのかなど、工事現場で気がつく、図面通りにいかない意外な盲点など発見すると、残念感もありますが、逆にこの内容は図面では読みきれないよなぁ〜、って

 

どうも、人間の計画することは、なんらかのミスや落としがあったり、考えきれていなかったりするものであると、自分は考えいる節がある。人間の考えの限界であろう、

そのような考え方、多少飛躍するが、理論的な積み上げとは別の、何か人知を超えたもの、直感力的な物への興味があるのだろう。

 

建物の設計事務所の検査にて、監理の年配の経験豊富な方の検査で、たまたま見たところに施工的な抜けなどあったりする、全箇所確認を指示するが、他全部問題なしであったと施工者から連絡がある、まぁ偶然だろうし、実際他にも不具合があったのを報告していないのかもしれない、ただそのような神懸かったことなどやはり不思議に思う。

 

そのような事柄に、興味があるのだろう、

 

読書も、SFやミステリーものは好きだ

物語の中でも、理論ではない偶然だったり、神懸かった事柄にまで及んでいないと、満足感がなかったりする、至高感覚というのだろうか、自分は、至高感覚を物語に求めているように思う。

 

そういうことが、いろんな思考のなかで、判断が鈍くなる要因になっているのかもしれない、

 

 

 

即興が無理と実感、基本的に考えをまとめきれていない

即興が無理ですね、実際のところ…

無茶振りされると、ダメ、

 

基本的に、考えをまとめきれていないのであろう。

 

無茶振りはされない様に振る舞うこと、また考えを常日頃からある程度まとめて、自分の言葉にしておくことしか対応はないだろう、

 

少し話がそれるが、それ以外に、考え方の根底基礎的なところに、何か問題があるようです、最近気付いた、どうも話を複雑にするきらいがあるのと他人事感とか自分で決定しないとか相手に判断を投げているような姿勢とか、根っから腐っているようにも思う。

 

 

追記、

相手も、いろいろ不安になるのだろう、多かれ少なかれ…。なんとなく感じることもある、伝わっていないなぁ、とか、不安にさせているよなぁって、

ただ客先施主の担当者含めて、同じプロジェク…略