「斉木楠雄の災難」というギャグ漫画があり、アニメ化もされている。映画にもなってる
たまたまネット動画を見ていたが、
主人公が語り手として、物語のすべてにツッコミを入れている。(物語の登場人物と観る側との間にある「第4の壁」を破っている、ネットウキに記載があった。演劇関係のコトバのようだ、)
なかなか面白いしテンポもよい
ふと思っだのが、自分の人生の中で、その語り手は、自分自身である。
よくよく考えたら…、そういうことである
なにが起こっても、それを自分でどう認識するか、どう語るかは自分である。
他人の認識と多少のズレはあっても、
それはそれ、対したことではないと考えるようにしよう。
追記、
小説などは、一人称か三人称で書かれている。
一人称はよいが、三人称は人称が曖昧だと読み手が混乱する、また下手な書き手では、ある登場人物がすべてを知っているようになったりもする、神の視点である、(書き手の視点もあったりもする、)
実際、実生活の中では一人称でしかない、無理にいろんな人の立場など考えたり配慮はあるが、わからない物はわからない。さらに整理の下手な自分では、その三人称の視点を整理整頓して頭に入れることは難があるようだ。また脱線ついでにに記載ですが、自分は神の視点を欲しいと望んでいる節がある、それは無理なことなのだろう…。