本屋で、ロジカルシンキングナントカという本を探していたときに、なんか気がついたのですが、論理的に、理論的でも構わないのですが、筋道立てて物事を、整理している時や、何か物を作っている時に、理論的な事柄から逸れた事柄を、理由はわからないが、入れてくることをワザとしているように思う。
なんだか、論理的思考よりも、直感を信じているというと、自分なりに、納得がいくのだが…、他人には理解出来ないことになるのだろう。
当然、大きくずれているわけではないが、やはり理解しがたいものが、自分の中にあり、それは、コトバには出来ず…。
例えば、趣味の陶芸の作品ですが、
何故か、丸印を付けてしまう。
付けなければ、それはそれでよかったかもしれないし…。多分、釉薬は透明か白系の釉薬で色を抑えた方が良かったのであろう。陶芸教室の先生からも、丸印はなんで付けたんだと問われたのだが、明確に返答ができなかった…、さんざん迷って、やるべきと判断しただが、理由は直感、感覚的に丸をつけるべきと思ったから、
それ以上は説明ができない、
きっと、今までも、細かい判断でも、直感を信じている節がある、これがダメな原因なのか?
追記です。
打合せで決定した内容でも、自分で腑に落ちていない事柄は、自分の中では保留にしますし、万が一、最悪決定が覆っても最低限の対応を考えますね。
(とはいえ、対応といっても自分の保身程度しかできないのでしょう、卑怯と思うし、意見かあればその時に言えとか、卑怯と言われるだろうけど…)
理論や打合せなど手続き的にOKでも、「やはり違うよね」という感覚、直感、理論を超えたモノ(ただ自分の頭では理論的に考え切れていないだけなのか…、(馬鹿丸出しですね、σ^_^;))、
前述の「腑に落ちる/落ちない」というコトバが、いちばんしっくりくるし、わかってもらえると思います、 世の中には、自分で納得いかない事柄が多くあり、それでも、人々の腑に落ち具合とは別に、世の中は動いていく…
追記ついでに、
もう少し脱線します。
やはり、この世のルール、決まりごとに興味がある、何によって物事が決まっていくのか、決まっているのか、大きくはそういう事柄になると思う、小さくは自分に今ひとつ自信がないこと…、それを補う意味で、世の中のルールを知っておきたい願望がある
さらに脱線…、
小、中学の時、工作や図工、美術が得意。
指先も器用なことから、たいていあるレベル以上の作品になっていました。
小学校の先生からは絶大な信頼を得ており「市の展示会に出展するから、この図画用紙自由に使っていいから作品を作ってくれ」とか…。
今思えば、特に絵などはある決まった構図があり、それを外さなければ、あるレベルは出来ます、立体ものも、だいたいイメージが浮かべば、あとはなんとかなる。色味も、同系色、補色とか、押さえどころを外さなければ、よい。
簡単です。(小学中学の時はそんな感じです、高校になるとダメですね、そんな基礎的な独自のマイルールでは太刀打ちできない)
でも気持ちが入っていないとダメですね、なんていうか、自分で作っているときの高揚感、ワクワク感、コトバにしづらいですが…
このようなコトバにできないことや、
自分が納得できないこと、腑に落ちないこと、そのあたりでしょうか、問題は…。