子供の頃、小学校の低学年の頃、生きる姿勢としては、
人様に迷惑をかけないとか、人のためになることをしなさいとか、普通にいわれていたと思います。たぶんこの姿勢が大事と思う。
少し無駄話し多目です(^_^;)
ばーちゃんだったか、かーちゃんだったか正確に覚えていませんし、自分のきおくの捏造かもしれません(また、その頃はとーちゃんも会社正確には公務員でしたが、労働組合などしており、ビラ配りを家族でしていましたね、家族の黒歴史です(^_^;) 余談になりますが、昭和一桁生まれ、敗戦のさなか、父は、まだ小学生で、早く父親(私からするとじーちゃん)をなくし、兄弟4人の長男として、焼け野原で住むところもなく、家族を守るために、必死になっていたといいます、食べ物にも困り、近くの畑で盗みもしたし、見つかってボコられたとも聞いています。きっと世の中が良くなってほしいと、しんそこ思っていたと思います。父は、戦後のどさくさでなければ生きられなかったともいってました、そんな世の中を生きていたんです)
小学校の四年の時に、
担任の先生が、なんで生きるのかという質問があり、
私ふくめて、多くの人は、世の中の役に立っためとか言っていました。なんか違和感はあったと思う
ある頭の切れる奴が、生きるために生きるということを言って、正直、凄い考えを持った奴かいると感心しました、驚きです。そんな発言から生きるためには、泥棒して捕まって刑務所で飯を食べてもいいんだと言う発言までありました。
まあ、結構トラウマ的な出来事でした、自分にとっては…。
でも、今、改めて生きること、生きる姿勢を考えると、やはり泥棒してまで生きるってのはないよなって思う、社会制度など充実して来ており、一足飛びに泥棒ってことは無いと思います、普通に生きていれば、それなりにカードがあり、切っていく必要はあると思います。
昔戦後のどさくさ、生きるために近くの畑の芋かなにかを盗んだ時代とは、また違い、生きることが難しい昨今ですが清く正しく生きる、そのような姿勢は必ず必要と思います。
一回、同じ事記載した覚えもありますが、再度掲載しました、
それ自体自分にとって意味があるのでしょうね、きっと。
追記
記載し終えてから、姿勢が具体的ではないこと気になった、
あまり、具体的なことまでに考えが及ばない、
大上段のお題目から、いろいろブレークダウンして、整理、また細かな事象からのまとめ上げで上下を繋いでいく、そんな作業と実践が必要なんでしょう
(正義の味方のように、)世のため人のため、と大上段に構えたようにとまではいいませんが、
社会に