(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

以前に一緒に仕事をしていた上司の方から「・・・・・、君は生かされているんだ、」とか言われたことがあるのだが、一理あるがよく考えてみると、ちょっと違うよなぁ~と、今さら気が付く

以前に一緒に仕事をしていた上司の方、今では退職してしまった人からですが、

 

君にも嫁さんや子供がいるんだろ…、仕事はやめちまってもいいんだけれどそうはいかないだろ!そういった人たちに、君は生かされているんだ!」といわれたことがある・・・・。退職数か月前、最後にお前の面倒を見てやると言ってましたね、仙人のような方でした。

(その方の退社後、数か月で私は仕事がにっちもさっちもいかなくなり、正確に言うと仕事というよりも社内の一緒に仕事をしていた人達との関係がダメになってしまい、私は白旗を上げ、その仕事を別の方に引継ぎをしたのが5年前…、今思うと、もう少しうまい立ち回りも出来たのではないかとも思いますが、今となっては過去のことです。)

 

まぁ、その時は、ああそうなのか…、そういった見方も出来るよなぁ、と感心していし、今でも大なり小なりそのような認識もある。

 

そんな、5年位前のことを思い出していたのですが、実際、切羽詰まると、生かされている云々ではない、まったく別の次元の思考になる、鬱になると駄目ですね、周りのことなんかかまっていられない、そんな状況です。

 

最近、いろいろ考えを整理していると、自分の人生の中で、自分が生かされているかどうなのかというのは2次的な話であって、やはり自分の人生は、自分が主体として、自信を持って、自分の人生を生きるということではないでしょうか。

自分が生きる目的ってのはですね、自分が生きていくのと同様に、他の人も生きているわけで、他の人の人生にも多かれ少なかれ、好むと好まざると関係なく何らか関わってきます。そのような中で自分が必要とされているということ、それに応えること、それが徐々にいろんな関係から積み重ねあって、人それぞれの目的になっていくのではないでしょうか。まだまだ漠然としていますし、生かされているという主張の方がわかりやすいのですが、おそらくそのような捉え方では足りない、力不足です、生きるにはもっともっと力が必要なんだと思います。

生かされているという見方から、主体的に、自信を持って人生を生きること、それが必要なんです。

 

大きな話はそれくらいとして、今日はちょっと近くに行ったとき、ちょっと気が付いたのですが、例えば自分が計画した予定、作業予定がその計画の通り終了するとそれは、ちょっと気持ちがいい感じ、すがすがしさを感じるじゃないですか、その感覚を維持できれば、いろんなことが踏み外さずに人生前向きに生きていけるのではないか、夕日のなか横断歩道を渡りながらそんなことに気が付きました。

このようなことがきっと大切なのではないかと、最近気づかされます。