生と死の成り立ち、生まれる前から死後含めた人生を、自分なりに理解し障害だか性格だかについて理由付けしないと、自分なりに納得がいかないのではないだろうか、
要は、生前死後の魂のシステムまたは規則や制度がどうなっているのか、その辺りにいろんな謎があるのではないか、すべてに理由があると思っているだけに、発達障害のけんについても、何らかの理由があるのではないかと・・・・。
少しスピリチャル系の話になってしまいますが・・・・、いたしかたない。
大学の入学の時に、なぜ建築学科を選んだのか、建築の研究会の先輩から飲み会の時に質問があった。新学生はそれぞれなんらか、差し障りのない話をしていたと思いますが、私は、唐突に「建築が天職と思っている」と言った。あまり深く考えずにいったと思う、それはそれで受けましたが、おそらくその言った内容はは、当たらずとも遠からずと思う、実際建築の設計、実務はダメダメでしたが、なんらか生前の職業で建築関係、おそらく建築の職人か何かをしていたのでしょうね。
または建築ではなく、工芸品かもしれない、新婚旅行、家内に無理いって、インドに、タージマハルを見てすごいと思ったし、また見にいったことについても、きっと何か理由があるのではないかと思っています。
そもそも、建物がもっと宝石箱のような、工芸品のレベルになるべきと一時期は思っていましたし、そんなことが出来ないとわかってから腑抜けになったような感じもします。なんか先の天職ということと、ズレはあるものの、きっとなんらかの関係があったのではないか、もしかすると前世でタージマハルの外壁の象嵌細工などを行っていたのではないだろうかと勝手に思っています、これも誰も知らないことだし、自分がそう思っているだけで・・・・。きっとなんか関係しているのでしょうね、
幾何学など大好きだし、タイリングも好き、なにかそういった物を過去から、生まれる前から、そのような何かがあったのかもしれない。また視覚認識は非常に優れているのは、今回の人生のミッションとして、必要だったのかもしれないし逆に、それ以外の不要なものをトレードしたのかもしれない。そんなことをなんとなく感じている。
だから何なのかというと、まったく結論が出ていない。ただそんなふうに感じている。
もし、生と死の成り立ち、このなんだかよくわからない発達障害という人生、その人生で生きている理由が少しでもわかれば、いろんなことが腑に落ちるのではないだろうか。発達障害を持って生まれた何かの理由がある、おそらく・・・・。
ただ理由があろうがなかろうが、実際生きていかなければならないし、どこまでなのかわからないが、人生を全うする必要がある。
【補足】このような考えを持ち始めたら、スピリチュアルか宗教に流れるか、自分で勝手に理由付けをするしかないのであろう。