(仮)f4650-55の日記【「46にもなって、急に発達障害ではないかと…」から数年、50にもなると…。55からは…。】

(仮)発達障害のグレーゾーンという中途半端 な状態で、今後どのように人生生きていくか

人生の「語り手」、

「斉木楠雄の災難」というギャグ漫画があり、アニメ化もされている。映画にもなってる

たまたまネット動画を見ていたが、

主人公が語り手として、物語のすべてにツッコミを入れている。(物語の登場人物と観る側との間にある「第4の壁」を破っている、ネットウキに記載があった。演劇関係のコトバのようだ、)

 

なかなか面白いしテンポもよい

 

 

ふと思っだのが、自分の人生の中で、その語り手は、自分自身である。

 

よくよく考えたら…、そういうことである

 

なにが起こっても、それを自分でどう認識するか、どう語るかは自分である。

他人の認識と多少のズレはあっても、

それはそれ、対したことではないと考えるようにしよう。

 

追記、

小説などは、一人称か三人称で書かれている。

一人称はよいが、三人称は人称が曖昧だと読み手が混乱する、また下手な書き手では、ある登場人物がすべてを知っているようになったりもする、神の視点である、(書き手の視点もあったりもする、)

実際、実生活の中では一人称でしかない、無理にいろんな人の立場など考えたり配慮はあるが、わからない物はわからない。さらに整理の下手な自分では、その三人称の視点を整理整頓して頭に入れることは難があるようだ。また脱線ついでにに記載ですが、自分は神の視点を欲しいと望んでいる節がある、それは無理なことなのだろう…。

 

 

 

 

 

 

するか、しないか…、どちらを選ぶか

するか、しないか。どうするか迷ったときは、

基本的には、するを選ぶ、 

ただ仕事上での判断などは、基本的にはしない、する立場にない、

 

 

するのか、しないのか、その時点での判断は曖昧だけど、それがまずいのだろうが、どう判断するかは

後略

 

 

会社の同僚に、「ここに、◯◯があるけど」と話をしたら、「やりもしないことを話をするんじゃない」と、まあ、私の担当している仕事ではないから、「(他の現場事務所にまで)持ってきてくれるのかよ!しねぇんならいうなよ、そういうことなんだょ」と頭ごなしに言われる。

良かれとして話をしたが…。

 

腹立つ!

 

 

 

時間が経って、今日朝、よくよく考えたら、思い当たる節もなくはない。でもそれとこれは繋がらないよなぁ、よくわからないよなぁ、

 

奴も話を端折り過ぎ、伝わっていない、と思う

 

 

 

 

 

時間の概念、捉え方、また作業として完結させること、

時間の捉え方や概念についてです。

昔、テレビにて、自己啓発的な手法を取り上げた番組を見たことがある。女性アナウンサーが、順番に3つの椅子に座って、30年後の椅子、3年後の椅子、3日後の椅子と、遠い未来の椅子から順番にすわって、自分の在り様をいってもらうことをしていた。たしか、教育テレビだったと思う。大きな目標と、それに至る過程の中、各フェーズを区切り目標を小さくして具体的なものにしていく作業である。30年と3年の間隔が開きすぎていると一方で思いながら、そのような手法があることに感心した覚えがある。学生か就職して早々の頃だったと思う。

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確かに、日々の作業と、大きな目標、目的を関連付けること、物事の取り掛かりとして具体的に何をしたらよいのかを遠くを見据えること、大事である。

 


また一方で、毎日の作業、週、月、年と、その時間、時間というよりもサイクルって言ったほうが良いとも思っている。さまざまな時間や作業の捉え方があるし、作業の大半は繰り返しの作業である。最近、作業の時間的な概念、捉え方としては円のカタチが良いのではないかと思う。一つの円、大きな円、小さな円、それぞれ円周に沿って時間が経過し、その作業が、円として完結する。とにかく作業を円として閉じること、完結させることが重要と思います。完成、他の人に手渡しできる。 

どうも自分はこの円の大きさをキチンととらえることが出来ていないように感じる。不完全な円すなわち閉じていない円である。

 


趣味で陶芸をしていますが、作業としては、粘土を練ること、成形すること、素焼きして釉薬をかけること、焼くことの各段階を経て、作品は完成します。(だいたい週1回、2時間半の授業で、1.5カ月から2か月でひとつの作品が完成。複数の作品を同時進行で進めています。)初めの粘土をよく練ることが重要になりますが、でも初めから菊練りは難しいし、それだけをマスターしてからでは、時間がいくらあっても作品は完成しません。

そんなこともあり、通っている陶芸教室では、初心者には、先生が粘土を練って対応しています。とにかく、碗なり皿なり作品を完成させること、それが重要です。


陶芸教室のスタッフさんの話では、生徒さんはだいたい3年から4年で入れ替わるとのことです。家庭の食器類で作りたいものがほぼ完成するのが3-4年なのか、興味が失せるタイミングなのか…。普通はご飯茶碗などは家族分あれば十分です。大きな鉢と大きな皿、手ごろな皿がいくつかあればことは足ります。

古株にの方になると10数年にいつまでも主として居着いているとのことです。

自分も初めは手捻りやタタラいた作りで3年、多少飽きてきたこともあって、4年目から電動ロクロを始めました。一つのことだけでは興味が続かないですね。おそらく3~4年の周期があるのでしょう。また自分では、成形の技法のひと通りが一巡し、二巡目でまだ釉薬やら焼き方にまで範囲を広げ切れていない、今後の課題になると思っていますが、少しづつ大きなサイクルの円、小さな円として、それらがらせん状に積みあがっていくイメージを持っています。とにかくこれを小さな円として仕上げること、大きな円として完全する。

小さな円の作業の時に、大きな円の作業などすこし気にする必要はあった方が良いのだけど、大きな円の作業になってしまうと、目の前の作品が完成しない、もしくはイビツなカタチになってしまう。

仕事もそんな感じなのでしょうね、

 

 

 

 

 

やはり、ノートや帳面に記入やら、物事の整理整頓が出来ない。宗教的なものやら自己暗示やら何かにすがりたい気分になる…。

やはり、ノートや帳面に記入やら、物事の整理整頓が出来ない。宗教的なものやら自己暗示やら何かにすがりたい気分になる…。

 

宗教みたいに、絶対的なもの、

または、自己暗示やら何か特殊なものそんなものがすがる先になるのだろうか…。

 

ほとほと気分が滅入る。

 

 

なんだか、「今でしょ!」ということに、気持ちがならない、先延ばしになる…。なんだかへんなスイッチが入ってしまう(電源コンセントからプラグが抜けるという方が良い表現かもしれない)今しなくても良い事に気がいってしまう、細かなどうでも良い事に気がいってしまう。

そんな感じ、へんなスイッチが入らないようにすること、どうしたらいいのだろうか?

 

また、昨夜気がついたが、ある種の事柄、言葉に非常に、敏感になっているし嫌悪がある、なんだか…、なんとなく自分に責任が降りかかるような言われ方や言葉になるようだ、そのような立場にないのにもかかわらず…、

 

自分の仕事、仕事の責任の範囲のすべて自分がなんらか責任があり、それについてはすべて言い訳抜きで背負う覚悟はしているが、その覚悟の仕方も気持ちの上だけでリアリティがない、また言い訳抜きというのも、同じ仲間、同じ立場の側から見ると「なんで?」となる。それなりの立場が必要になるのかもしれない…。

 

いやはや、先週は、木曜日にお休み、土日月の三連休もお休み、ほとんど何もせず、趣味の陶芸教室に半日行ったくらいです。気分が重いし、考え込んでばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

移動の時に、頭がよく回転するのはなぜだろうか、考えることに集中するからなのであろう

通勤電車、またはビルのエレベーターなどで移動中に、何故か手帳に考えていることを記載したり、メモしたりそんなことが多い。

 

通勤電車、車内ではもっぱら、ブログ記載に時間を費やしているが、打合せに行く途中のエレベーターの中では、打合せ項目、説明順番とか気になって手帳にメモをするのが多い。

 

体を動かさないから頭に神経が集中するためなのかもしれない。

 

仕事場では、いろんな雑音があったりして、あっちの作業、こっちの作業、資料の出力それを取りに行ったり頭意外に、体を動かしたりして記憶が飛ぶ(鶏みたいに三歩歩くと忘れる)ような気がする。それが体を動かさない、動かすことが出来ないと、必然的に頭の中での思考に集中せざる得ない。こんなことからではないでしょうか。

 

ただ単に集中力がないとも言えなくはないのだが・・・・。

 

そういえば、昔学生の時に、自動車の運転の動作は一つ一つ、複数は出来ないと、教習所で教官から教わった。することは1つづつ。曲がり角では、まず確認、ハンドルを切る動作、曲がり切ったら、方向を修正しハンドルを戻す、動作は1つづつとならったし。

 

また、陶芸教室で電動ロクロ、簡単そうに思うが結構コツが必要で、最近分かったのが、土を上にあげ円筒形にする動作と円筒形の土を横に広げ碗のカタチにする動作こと両方を一度に行おうとすると、土が暴れる。歪むしうまくいかない。あくまでも一つ一つが原則である。(職人みたいに何千回、何万回も作業をしていれば別かもしれないけど・・・・。)

 

 

前のブログでも、マルチタスクは出来ないシングルタスクでシンプルに作業をしていくしかないと思ったが、頭の作業と、ただこなすだけの作業など上手く分けて作業がバラバラにならないようにしていくしかないとだめなのだろう。

 

そんなことを感じている。